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坂本龍馬像

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坂本龍馬像

商品番号  :
HF018
販売価格  :
10,080円
 (税込・送料別・手数料込)
生産地  :
中国
購入数  :
-


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詳細説明

幕末の志士
『坂本龍馬像』 

幕末の日本に現れた巨星
近代日本を夢見た漢

幕末という激動の時代、新しい日本を夢見て生きた不世出の革命の志士「坂本龍馬」。 明日の日本を夢見て生きたその生き様が、現代でも多くの人々を魅了し続けています。 その熱い生き方こそが、多くの人々をとりこにしている秘密なのかもしれません。

重厚で渋い逸品紋付き袴にブーツ姿の坂本龍馬の立像を、コールドキャストの素材を用い、重厚感あふ れるアンティークゴールドで彩色。 重厚でなめらかな質感に加え、遠くを見つめる鋭い眼差しの細かな表情まで精緻に 制作。美しさと高級感の中に、幕末の時代を最も壮絶に生きた龍馬の力強い意志と 温かい人柄が溢れる入魂のアートです。 『幕末史の奇跡』と呼ばれる坂本龍馬。龍馬の深い人間性が表れた作品です。


幕末の志士『坂本龍馬像』を詳しく見る

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幕末の志士『坂本龍馬像』の詳細

詳細
  • 【商品番号】114-004
  • 【商 品 名】幕末の志士『坂本龍馬像』
  • 【サ イ ズ】高 さ 200mm
    横 幅 95mm
    奥行き 76mm
    ※サイズはそれぞれ最も大きな部分のサイズです。
  • 【仕 上 げ】ブロンズ風仕様
    精密ハンドメイド彩色
    アンティークゴールド
  • 【主な素材】コールドキャスト
  • 【商品内容】本体
  • 【そ の 他】重量 約630g
備考
  • ●弊社商品はすべて職人・仏師の手作業にて製作しております。 一体ごとに木目や色味等が若干異なる場合がございます。また、よりよい商品をお届けする為、造型・彩色・彫刻には予告無く改良を施す場合がございます。その為、掲載写真とは若干異なる商品をお届けする場合がございます。
  • ●写真は入荷商品の中から無作為に選んだ実際の商品です。
  • ●実際にお届けする商品と掲載写真では色味が異なって見えることがございます。
  • ●事前の予告無くパッケージや梱包の仕様が変更となる場合がございます。
  • 以上予めご了承下さい。

日本の夜明けを夢見た
幕末の革命の志士

坂本龍馬(天保6年11月15日〜慶応3年11月15日)

土佐国土佐郡上街本町筋(現在の高知県高知市上町)に土佐藩郷士(下級武士)の坂本八平の次男として生まれました。 薩摩藩などの資金援助を受け、日本初の株式会社とも言われる亀山社中(のちの海援隊)を結成したり、敵対していた 薩摩藩と長州藩の軍事同盟(薩長同盟)を締結させたり多くの活躍をしましたが、京都の近江屋で暗殺される。

〜龍馬の生きた時代背景(龍馬年表)〜
  • 天保6年(1835年)11月15日:龍馬が誕生。
  • 嘉永6年(1832年)  4月 :剣術修行のため江戸の千葉定吉道場(小千葉道場)に入門(龍馬19歳)。
  •         6月3日 :黒船が来航。
  • 安政元年(1854年)3月3日 :日米和親条約を締結。
  •         6月23日:土佐に帰郷(龍馬20歳)。
  •     3年(1856年)9月 :再び江戸の小千葉道場に修行遊学(龍馬22歳)。
  •     5年(1857年)1月 :千葉定吉から「北辰一刀流長刀兵法目録」を伝授(龍馬24歳)。
  •         6月19日:日米修好通商条約に調印。
  •           9月:幕府大老井伊直弼による「安政の大獄」が始まる。剣術修行を終えて帰国。
  • 万延元年(1860年)3月3日 :「桜田門外の変」で井伊直弼が水戸脱藩浪士らに暗殺される(龍馬26歳)。
  •     2年(1861年)8月 :武市半平太が江戸で土佐勤王党を結成し龍馬も加盟する(龍馬27歳)。
  •          10月 :武市の密使として長州(山口県)に赴く。
  • 文久2年(1862年)3月24日 :沢村惣之丞とともに土佐藩を脱藩(龍馬28歳)。
  •         4月23日:薩摩藩尊皇派が薩摩藩主の父・島津久光に粛清された寺田屋事件起こる。
  •           8月:九州などを放浪した後、江戸へ入り小千葉道場に身を寄せる。
  •          12月 :江戸の幕臣勝海舟に面会し弟子となる。
  •   文久3年(1863年)7月 :薩英戦争が勃発(龍馬29歳)。
  • 元治元年(1864年)6月5日 :新撰組が長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を襲撃した池田屋事件起こる。
  •         7月23日:幕府が長州征伐を発令。
  • 慶応元年(1865年)  5月:薩摩藩の援助により、長崎で亀山社中を結成(龍馬31歳)。
  •           8月:薩摩藩名義で長崎のグラバー商会から購入した銃器弾薬を長州藩に斡旋。
  •           9月:薩摩藩士大久保一蔵(利通)の書簡を長州藩の重役に届ける。
  •   2年(1866年)1月22日 :龍馬の斡旋により京都で薩摩藩の西郷隆盛らと長州藩の桂小五郎らが会談し、薩長同盟が結ばれる(龍馬32歳)。
  •         1月23日:伏見の寺田屋で幕吏に襲撃され負傷する(寺田屋遭難)。
  •         12月5日:徳川慶喜が将軍宣下する。
  •        3月〜4月 :負傷治療のために妻おりょうと共に鹿児島を旅行する。→日本発の新婚旅行といわれています。
  •     3年(1867年)4月 :亀山社中を土佐藩外郭組織とし「海援隊」と改称(龍馬33歳)。
  •           6月:新国家体制の基本方針とされる「船中八策」を起草し、土佐藩参政の後藤象二郎に提案する。
  •        10月14日 :第15代将軍徳川慶喜が明治天皇に統治権返上を上奏した大政奉還起こる。
  •        11月15日 :京都の近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲撃され暗殺される(近江屋事件)。
  •         12月9日:討幕派により、天皇親政の「王政復古の大号令」が宣言される。
  • 明治元年(1868年)1月3日 :王政復古で成立した明治新政府と親江戸幕府勢力の鳥羽伏見の戦い起こる。
  •           4月:江戸無血開城。
坂本龍馬の生きた幕末に出てくる
「尊王攘夷」や「佐幕」って何なの?

それを説明する前に、まずは「鎖国」についてお話しします。

「鎖国」とは皆さんご存知の通り、江戸時代に幕府が日本人の海外交通を禁止し、諸外国との貿易・外交を 一部に制限(全面禁止ではない)した政策、またはそこから生まれた諸外国からの孤立状態のことをいいます。 詳しくは、寛永18年(1641年)の3代将軍徳川家光の時代に完成し、嘉永6年(1853年)のペリーの 黒船来航を経て、安政5年(1858年)にハリスと日米修好通商条約を締結するまでの220年弱の長期に わたり日本は鎖国をしていました。

なぜ鎖国をする必要があったのかというと2つの説が考えられています。まずは天文18年(1549年)に フランシスコ・ザビエルが日本に来航して以来、宣教師による熱心な布教活動により戦国大名を含めてキリ スト教信者(切支丹)が九州地方を中心に急激に増え始めました。その増加と団結は幕府にとっても脅威とな りその締め付けのためとする説。もう1つは、当時の日本は世界有数の金銀産出国でしたが、2代将軍徳川 秀忠の時代に対外輸入額が輸出額を大幅に上回り(いわゆる貿易赤字)、交易に金銀を用いていた日本国内の 金銀保有高が急激に減少してしまったとする説があります。いずれにしても秀忠公や家光公はその後200 年以上も鎖国が続くとは思っていなかったのではないでしょうか。

さて、続いて「尊王攘夷(そんのうじょうい)」ですが、これは元々「尊王論」と「攘夷論」の別々の考え方 がのちに一緒になり、「尊王攘夷論」として普及していったものですので両者を分けて考えます。

まずは「尊王論」。日本は元々、国の存在の根拠を天皇(神)に依ろうとする考え方がありました。幕府政権 のように武力(覇道)をもって支配する「覇(覇者)」に対し、徳(王道)をもって支配する「王(王者)」を尊ぶ ことを説きます。武力で制する江戸幕府ではなく、国の存在根拠である天皇を尊ぶ考え方です。

次に「攘夷論」です。江戸時代の鎖国をしている間の日本は天下泰平の世で、諸外国の脅威には無縁でした が大航海時代を迎え、ヨーロッパ諸国やアメリカがアフリカやアジアに進出して次々と植民地化していった とことは日本にとっても脅威なことでした。そのまま開国はせずに夷人(外国人)をを実力行使で排斥しよう という思想で主に長州藩に支持されました。開国を主張していた徳川幕府や薩摩藩とは逆の考え方です。

「尊王攘夷論」はその両者が合体し、王(天皇)を尊びながら外圧・外敵を撃退しようとする思想です。朝廷 から一般民衆まで多く論じられたそうです。しかし、1865年に欧米列強の圧力により修好通商条約に天 皇が勅許を出したことで「尊王」と「攘夷」は結びつかなくなり、また、薩英戦争や下関戦争において外国 艦隊との力の差を目の当たりにしたことにより、単純な攘夷論に対する批判が生じました。

そこで、欧米列強の圧力を排するためには一時的に外国と開国してでも国内の統一や富国強兵を優先するべ きだとする新たな思想が唱えられ、「開国」と「攘夷」という相反する思想が「討幕」という同じベクトル の向きに変わっていきました。その結果、薩摩と長州という国内二大勢力は土佐藩の坂本龍馬らの手助けを 得て、幕末日本の討幕へと向かっていくことになったのです。

なお、「佐幕(さばく)」とは「幕府を補佐する」という意味で、倒幕派の対義語として「佐幕派」といわれ ます。また、「佐幕」は必ずしも「尊王」と矛盾するものではなく、「幕府あっての尊王攘夷」という考え もあったようです。


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